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第3回 少女たちの抱える問題、解決の鍵の所在
本作の独特の神秘的な雰囲気と散りばめられた謎は、作品を特徴づけている。
ただしその「謎」は、ミステリー小説の「犯人捜し」とは微妙に異なる。そこに本作らしい 新たなテイストが見えるのではないか。
事件に巻きこまれた4人の少女たちは、当初は任務を「怪物退治」だと思いこんでいる。
背広姿の一般市民が獣の容貌に変わり、すさまじい跳躍や噛みつき攻撃を行えば、 怪物にしか見えないし、ましてや「死」からの復活には「戦い」が必要と言われれば、
「怪物退治」が正当と受け止められて当然だろう。
だが、ここで疑いをもつべきは「被害者的な立場から脱する」考え方に潜む落とし穴だ。
実際に、現状を理想から損なわれたものととらえ、そこから脱するために何か行動を起こそうという人は多いが、
『レッド ガーデン』では、それに微妙な疑問を投げかけているように思えるのだ。 たとえば主人公たちは、「死体からの生還」以外に個人的な問題を抱えている。
クレアは母親を見殺しにした父を恨み独立して暮らし、ローズは父が失踪した上に、 母が病気で長期入院中の為、幼い妹弟の面倒を見ている。
華やかそうに見えるレイチェルもアルコール依存症の母に苦慮するし、良家に育って不自由が無さそうなケイトでさえ、
学園内ではグレースという立場で軋轢を抱えている。
驚くべきことに、彼女たちを見舞った「呪い」と家庭や生活の問題は、直接的な接点をもたない。
それは「怪物退治」の前後で、既存の問題に何の変化も起きていないことから明らかだ。
こうしたストーリーテリングは、実は非常に難しく珍しいと言える。怪物が誰かの家族を傷つけたりさらったりすることで、
強い関連と主人公たちの動機が作られる……そんな作品が大多数だろう。
その場合、事件が解決するとともに人の絆も問い直され、心の問題が解決する。しかし、そういう都合のいいことは、
現実にどれぐらいあり得るのだろうか? それは「ストーリーの都合優先」の進め方ではないのか?
『レッド ガーデン』でも、ストーリーを通じて彼女たちの問題は解決に向かう。ただし、ゆっくりと時間をかけて。
その変化をもたらすのは事件や戦いではなく、苦難を通じて変わっていった主人公たちの「心」なのである。
生活の中で人が抱える問題とは、実は外に原因を求めても解決しない場合がほとんどなのだ。
問題も含めた世界に対する視線を変え、自分の心を変えていくことで、初めて解決の糸口が見つかる。
そうした世界のとらえ方の変化こそが大事だというメッセージは、最後まで見通せば明らかだろう。
一人ずつの気持ちに降りていき、本当の解決を優先してくれるのが、『レッド ガーデン』という物語なのだ。
それが本作の大きな魅力のひとつであることは間違いない。
(以下、次回)
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氷川竜介
経歴:アニメ特撮評論家
・雑誌連載『ガンダムエース』『スカバー!ガイド』『特撮ニュータイプ』
・バンダイチャンネル:Webとメールマガジン、特集、みどころ紹介。
・ガンダムSEEDクラブ:コラム連載
・フレッツスクエア『機動戦士ガンダム』あらすじ、コラム
・DVD『機動戦士ガンダム』公式ホームページ あらすじ
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