>

トップ エピソード キャラクター キャスト&スタッフ グッズ情報 リンク

RED GARDEN全話を考察!
space


第2回 変わらぬ人の想い

 「21世紀のゴシックホラー」という形容が『レッド ガーデン』という作品に成立するとしても、注目すべき点は人間ドラマと異常な状況におかれた主人公たちの心の機微である。では、なぜそこに古典的な様式が選ばれたのか。本質を探る前提となるのは、「人は変わらない」という認識である。
 洋の東西、時代の推移を問わず、どれだけ社会制度や生活環境が変わろうとも、人が人であること自体の根幹は変わらない。「来し方行く末」について悩んだりするのは人間だけで、それが動物と人間を隔てる本質と言って良いだろう。それは個人レベルでは、「どう生まれ、どう死んでいくのか」という命題に置き換わる。誰でも若いころはこんな根源的な疑問を突きつめて考えるもの。ただし、考え続けると生活に支障をきたすので、棚上げにしているだけだろう。
 こんなことを念頭において『レッド ガーデン』の物語を再検証すると、新たに興味深い発見ができて面白くなってくる。
 たとえば、主人公の4人の少女たちの置かれた運命の矛盾。ケイト、ローズ、レイチェル、クレアと同じ学園に通う以外、まったく共通点をもたなかった彼女たちは、同時に死んでしまった。にも関わらず、思考や記憶はそのままに人生を続けることが許されている。ただひとつ変わったことは、「生きるために戦え」という命題が追加されただけだ。黒服の男女、ルーラとJCによって……。
 これはもちろん当事者たちにとっては、重大事である。運命の激変に対する四者四様のリアクションが『レッド ガーデン』最大のみどころであることは間違いない。  ただし……。ここでハッと気づかされることがある。死を宣告される以前、彼女たちは自分の「生」を心底かけがえのないものとして認識していたのか、という疑惑だ。おそらく「生きているのは当たり前」と思っていたに違いない。現代社会を生きるわれわれと同じように。
 もしかしたら、「生きるために戦え」という命題は過酷ではないのではないか。人が生きていられるのは、父母、先祖から連綿と受け継がれてきた生命の連鎖の結果だ。毎日のエネルギーも他の動植物からの食事として摂取したものである。つまり、「生」とはもともと与えられたものなのだ。それを続けていくには、何らかの意志を発して行動する必要がある。その自発的行動を「戦い」と位置づけるなら、本質的には何の変化もない。ただし、より激しく明瞭になったとは言えるだろう……。
 このように考えてみると、ゴシックホラーのもつ様式とは、4人の少女たちが事件に巻きこまれる前から抱えていた「人生の命題」を明確に浮き彫りにしていくために選ばれたものだと思える。このように一見矛盾しているとも思える構造を貫き、本質を見ぬくための力を「物語」は備えているのだ。
 そうした観点で作品を鑑賞してみてはどうだろうか。そうすれば、また面白いものがいくつも発見できるに違いない。
(以下、次回)



<< 前回のコラムへ 次回のコラムへ >>
line
line


氷川竜介

経歴:アニメ特撮評論家
・雑誌連載『ガンダムエース』『スカバー!ガイド』『特撮ニュータイプ』
・バンダイチャンネル:Webとメールマガジン、特集、みどころ紹介。
・ガンダムSEEDクラブ:コラム連載
・フレッツスクエア『機動戦士ガンダム』あらすじ、コラム
・DVD『機動戦士ガンダム』公式ホームページ あらすじ






当サイトに掲載されている記事および写真の無断複写、転載等の利用・使用はお断りします。
Copyright (C) 2006 GONZO / RED GARDEN 製作委員会 All Rights Reserved.