ORERA’S PEOPLE 森田宏幸(アニメ監督)
「僕の中ではまだ、子供たちが生きているような気がします」
この半年間に渡って放映されてきたアニメ「ぼくらの」がついに最終回を迎えた。この作品がテレビシリーズ初監督となる森田宏幸氏は、15人の子供たちとどのように向き合ってきたのであろうか? 今だからこそ語れる、率直な心境を聞いてみた――。
――「ぼくらの」の最終回を終えた、今のお気持ちはいかがですか?
「まだDVD用のリテイク作業が残っていますので、気持ちは切れていないですね。最終話のラッシュの時、スタッフの間で『これで終わりだね』と声を掛け合った瞬間はさすがに区切りが付いたのですが、その後にも小さな作業が残っているので、まだ僕の中では終わりきっていないという気持ちが少しあります。子供たちが生きているような気がしますね」
――DVDのリテイクとは、どのような形になるのでしょう?
「非常に限られた範囲しか直しません。まったく違うものにするというのは絶対にしたくないし、できないことなんです。それは制作上の都合ではなく、気持ちとしてやりたくない。質的に至らなかった点をこっそりちょっと直す程度で、たぶん見られたお客様も気がつかないようなレベルだと思います。24話(最終回)の回想シーンでも、もう何か月も前に描いた絵だから、最初は描き直そうかというアイデアも出たんですよ。古いから描き直したいという単純な発想だったけど、結局出来なかった。『これは手を入れないほうがいいのか』というようなところに腑に落ちたのは、面白い経験でした。24話という長いスパンでキャラクターを追いかけたのは本当に初めてだったので」
――24話まで通して見ると、特に終盤では「15人でひとりの主人公」という面が強調されていたような気がしました。21話のカンジのセリフにもありましたが。
「それは隠しテーマのつもりだったんですが、結果的に21話のカンジのセリフとして言わせることになりました。つまり、『15人でひとり』というのはひとりひとりが役割を背負って、その役割を果たして次のパイロットに引き継いでいくという意味がありました。ワクから始まって、コダマ、カコ、チズ、ダイチ、ナカマ、モジ、マキ、キリエ、アンコ、コモと続いて、カンジの段階に来たときに初めて彼が発見してくれたんです。ひとりひとりが違う役割を果たしていて、重複しないという構成になっているのを、あそこではっきり出せたことでわかりやすく伝わったのではないかと信じています」
――最後のパイロットをウシロにした理由は?
「だって、名前が『ウシロ』ですから、バレバレですよね(笑)。ただ、原作の鬼頭(莫宏)さんがどのように考えているか、僕は知りません。だから僕はアニメーションを作るにあたって、ウシロを最後のパイロットに決めました。そして、カナちゃんはアニメーション版では生き残りました。僕はカナちゃんを15人目のパイロットとして位置づけています。契約はしていないから本当は違うんだけれども、最終回をご覧になった人はウシロがはっきりと『15人目の戦士なんだ』と言ったセリフを覚えていてくれていると思います。それから『お前は生きるための戦いをやるんだ』ということにつなげました。子供たちは必ず死ぬという設定にしておきながら、僕はあえて最終回で未来へつなぐ部分というのを模索して、それをカナちゃんがやってくれそうだという結論まで導き出せたのはよかったなというのはありますね。最後のパイロットはウシロだけど、最終回の主人公はカナちゃんになりました」
――なるほど。
「こんな話もしようかな? 鬼頭さんと最初に会ったときに僕はひとつお願いをしたんですね。それは、『子供たちを助けていいか?』ということでしたが、以前にこの話をしたときには、ネタバレになることを恐れてちょっとぼやかしていたんです。正確にはこう言いました。『子供たちのうち、ひとりだけ助けさせてほしい』って。でも、実は僕が心の中で描いていた青写真は、ウシロを助けようと思っていたんですよ。ウシロが敵の地球に乗り移って、自分たちの地球から逃げ出して生き延びるラストを思い描いていたんです」
――本編では、コエムシがウシロにそうさせようとしていましたね。
「ひとり助けるというのはそんなイメージだったんです。その後で、僕はシナリオを見る段階でいろんな友人に話をして、自分のアイデアを検証するんですけど、どうにもこうにも評判が悪かったんです。つまり、こういうことです。キリエのエピソードでも語られていることですが、どんなにこの地球がくだらなくても見捨てていいということにはならない。戦わずに逃げても、それは決して視聴者が満足するラストにならないとある友人から説き伏せられまして、僕も納得しました。このアイデアはダメだと。そしていろいろ模索して、カナちゃんを助けるという今の形になったんです。いや、カナちゃんは最初から契約していないですから、助けるも何もないんですけど……。だから、そういう意味では『ひとりだけ助ける』という僕が最初に掲げたコンセプトは、非常に弱いものだったということですよね。結局僕は、カナちゃん以外は助けなかったという結論になる。ルール通り、みんなに死んでもらいましたと(笑)」
――どんな形であれ、漫画的な都合のよさで人が生き返ったり生き延びたりしないところが、「ぼくらの」という作品の肝となる部分ではありますからね。
「私がこんなに原作を変えてしまうことになってしまって、いろいろ批判を浴びてしまっていますけど、そこを変えたら『ぼくらの』ではなくなるということは意識していました。やっぱり『ぼくらの』は鬼頭さんのものなので、今後は逆に鬼頭さんがどのような終わらせ方をするのかというのが、楽しみなところですね。期待しています」
――テレビシリーズの監督を初めてご経験されて、その中で得られたものとは?
「そうですね……。劇場映画だと何とか自分の思い描いたイメージで突っ走れるところはあるんですが、やっぱり長いシリーズだと、もちろん自分がコンセプトを立てたり、方向性を決めたりしますけど、その中でスタッフからもらえたものはたくさんありました。素直に、スタッフから財産をもらったという経験でしたね。例えば、シナリオは私が中心で仕切らせてもらったのですが、やはり後半のオリジナル展開の中では非常に苦労して、ちょっとこれは自分ひとりではカバーしきれないなというところがあったときに、助けてくれたのは各話を担当していたライターさんでした」
――具体的にお名前を挙げていただけますでしょうか?
「例えばヤクザ話というのがありました。この時はライターの西田大輔さんが一所懸命、いわゆるヤクザ社会のルールを調べ上げてくれて、非常に力になってもらいました。与口奈津江さんは大変才能がある方だと思いましたね。面白いセリフがたくさんあるんです。僕がすごいなと思ったのは、コモ編でコエムシが『人数減っちまってんだからな、ひとりひとり声出していこうぜ』って言う(笑)。あのドシリアスなストーリーの中であんなセリフが出てくるのは、すごくおかしかったですね。あともうひとり、終盤に与口さんの紹介できてくれた大知慶一郎さんにも助けられました。この方は筋道を立てることに関して非常に長けていて、アンコ編で私がちょっとストーリーを見失う瞬間があったのをうまく形としてまとめてもらって、実に大きな仕事をしてもらいました。各話の演出さんに助けてもらったということもありますよ。僕が作るシナリオやセリフに、やや展開が飛躍する癖があるということに気がついてくれて(笑)、それをフォローしながら演出してくれた演出家さんがいましたね。21話の信田ユウさんは容赦なかった。畠山茂樹さんも僕のシナリオに突っ込みを入れて、『ここはこういうセリフに直したほうが視聴者に対してわかりやすいのではないか』と言ってくれていたので、うまくつながっているなというのがあったら、それは演出さんの力かもしれません。もちろん僕が中心で作ったということは変わらず、あくまで作品の出来に関する責任は僕にあるので、うまくいった部分に関しては演出家さんやライターさんの力が大いにあったということです。そういうものをたくさん作品に注ぎ込んでくれたスタッフと出会えたことは喜びでした。本当にお礼を言いたいです」
――「ぼくらの」を終えたところで、次回作の構想などはありますでしょうか? 「ぼくらの」と正反対の明るい作品を手がけたい、もしくは「ぼくらの」同様の重厚な世界観を突き詰めていきたいなど、思いつく限りでお答えいただいて結構です。
「まだ気持ちが切り替えられないというのが正直なところです。次の仕事も決まっていませんし、DVDリテイクをクールダウンするような気分で出来たらいいのかもしれませんね。もし、もう一度24本で何かやるとすると、今回食い足りなかった部分を思い返して咀嚼して、似たようなものをもう1回やるかも(笑)。これは『ぼくらの』をまたやるという意味ではないんですけど、似たようなものでもOKです。今回は暗くてつらかったから、次は明るいものをという気分はないですね。暗いものと言うと語弊がありますが、登場人物が死と向き合うというようなモチーフのものがまた来たとしたら、今回これだけいろんなことを考えてやれましたから、さらに深めて作ることはできると思います。むしろ、それは望むところかもしれないですね。ただ、こんなすごいアイデアの企画はもうないんじゃないでしょうか」
――仮にあったとしても『ぼくらの』の二番煎じとして受け止められかねないところがありますからね。
「二番煎じと受け止められないようにやるのは大変かもしれないな。そういう意味では現実味は薄いですね。……ちょっと申し訳ないですが、全然懲りていないです(笑)」
――では、最後になりますが、「ORERA」読者へのメッセージをお願いします。
「ひとつメッセージを残します。『ORERA』はジアースの事件が本当の雑誌に載っているかのような、現実味のあるシチュエーションを描き出したホームページですよね。ジアースという事件に本当の意味での現実味があるのかどうかと言ったら、僕は大いにあるつもりだったんです。つまり、ジアースによって引き起こされる災害が『ORERA』の誌上でいろいろ取り上げられていますが、残念ながらそういった災害は世の中に起こりうることなんですね。でも、ウシロが最後に、保や自分の父親の存在を通して、怖がっちゃいけない、怖がってもろくなことにならないということを学びましたよね。もしも『ぼくらの』を見返すことがあったら、そういうところに注目して、心に刻んでほしいです。世の中で大概のことは怖がる必要のないことだというふうに考えていいと思います。本当に何が起こっても怖がらないで、現実をしっかり見据えてください。『ぼくらの』の子供たちはそれをやり遂げてくれたと思いますので」
「僕の中ではまだ、子供たちが生きているような気がします」
この半年間に渡って放映されてきたアニメ「ぼくらの」がついに最終回を迎えた。この作品がテレビシリーズ初監督となる森田宏幸氏は、15人の子供たちとどのように向き合ってきたのであろうか? 今だからこそ語れる、率直な心境を聞いてみた――。
――「ぼくらの」の最終回を終えた、今のお気持ちはいかがですか?
「まだDVD用のリテイク作業が残っていますので、気持ちは切れていないですね。最終話のラッシュの時、スタッフの間で『これで終わりだね』と声を掛け合った瞬間はさすがに区切りが付いたのですが、その後にも小さな作業が残っているので、まだ僕の中では終わりきっていないという気持ちが少しあります。子供たちが生きているような気がしますね」
――DVDのリテイクとは、どのような形になるのでしょう?
「非常に限られた範囲しか直しません。まったく違うものにするというのは絶対にしたくないし、できないことなんです。それは制作上の都合ではなく、気持ちとしてやりたくない。質的に至らなかった点をこっそりちょっと直す程度で、たぶん見られたお客様も気がつかないようなレベルだと思います。24話(最終回)の回想シーンでも、もう何か月も前に描いた絵だから、最初は描き直そうかというアイデアも出たんですよ。古いから描き直したいという単純な発想だったけど、結局出来なかった。『これは手を入れないほうがいいのか』というようなところに腑に落ちたのは、面白い経験でした。24話という長いスパンでキャラクターを追いかけたのは本当に初めてだったので」
――24話まで通して見ると、特に終盤では「15人でひとりの主人公」という面が強調されていたような気がしました。21話のカンジのセリフにもありましたが。
「それは隠しテーマのつもりだったんですが、結果的に21話のカンジのセリフとして言わせることになりました。つまり、『15人でひとり』というのはひとりひとりが役割を背負って、その役割を果たして次のパイロットに引き継いでいくという意味がありました。ワクから始まって、コダマ、カコ、チズ、ダイチ、ナカマ、モジ、マキ、キリエ、アンコ、コモと続いて、カンジの段階に来たときに初めて彼が発見してくれたんです。ひとりひとりが違う役割を果たしていて、重複しないという構成になっているのを、あそこではっきり出せたことでわかりやすく伝わったのではないかと信じています」
――最後のパイロットをウシロにした理由は?
「だって、名前が『ウシロ』ですから、バレバレですよね(笑)。ただ、原作の鬼頭(莫宏)さんがどのように考えているか、僕は知りません。だから僕はアニメーションを作るにあたって、ウシロを最後のパイロットに決めました。そして、カナちゃんはアニメーション版では生き残りました。僕はカナちゃんを15人目のパイロットとして位置づけています。契約はしていないから本当は違うんだけれども、最終回をご覧になった人はウシロがはっきりと『15人目の戦士なんだ』と言ったセリフを覚えていてくれていると思います。それから『お前は生きるための戦いをやるんだ』ということにつなげました。子供たちは必ず死ぬという設定にしておきながら、僕はあえて最終回で未来へつなぐ部分というのを模索して、それをカナちゃんがやってくれそうだという結論まで導き出せたのはよかったなというのはありますね。最後のパイロットはウシロだけど、最終回の主人公はカナちゃんになりました」
――なるほど。
「こんな話もしようかな? 鬼頭さんと最初に会ったときに僕はひとつお願いをしたんですね。それは、『子供たちを助けていいか?』ということでしたが、以前にこの話をしたときには、ネタバレになることを恐れてちょっとぼやかしていたんです。正確にはこう言いました。『子供たちのうち、ひとりだけ助けさせてほしい』って。でも、実は僕が心の中で描いていた青写真は、ウシロを助けようと思っていたんですよ。ウシロが敵の地球に乗り移って、自分たちの地球から逃げ出して生き延びるラストを思い描いていたんです」
――本編では、コエムシがウシロにそうさせようとしていましたね。
「ひとり助けるというのはそんなイメージだったんです。その後で、僕はシナリオを見る段階でいろんな友人に話をして、自分のアイデアを検証するんですけど、どうにもこうにも評判が悪かったんです。つまり、こういうことです。キリエのエピソードでも語られていることですが、どんなにこの地球がくだらなくても見捨てていいということにはならない。戦わずに逃げても、それは決して視聴者が満足するラストにならないとある友人から説き伏せられまして、僕も納得しました。このアイデアはダメだと。そしていろいろ模索して、カナちゃんを助けるという今の形になったんです。いや、カナちゃんは最初から契約していないですから、助けるも何もないんですけど……。だから、そういう意味では『ひとりだけ助ける』という僕が最初に掲げたコンセプトは、非常に弱いものだったということですよね。結局僕は、カナちゃん以外は助けなかったという結論になる。ルール通り、みんなに死んでもらいましたと(笑)」
――どんな形であれ、漫画的な都合のよさで人が生き返ったり生き延びたりしないところが、「ぼくらの」という作品の肝となる部分ではありますからね。
「私がこんなに原作を変えてしまうことになってしまって、いろいろ批判を浴びてしまっていますけど、そこを変えたら『ぼくらの』ではなくなるということは意識していました。やっぱり『ぼくらの』は鬼頭さんのものなので、今後は逆に鬼頭さんがどのような終わらせ方をするのかというのが、楽しみなところですね。期待しています」
――テレビシリーズの監督を初めてご経験されて、その中で得られたものとは?
「そうですね……。劇場映画だと何とか自分の思い描いたイメージで突っ走れるところはあるんですが、やっぱり長いシリーズだと、もちろん自分がコンセプトを立てたり、方向性を決めたりしますけど、その中でスタッフからもらえたものはたくさんありました。素直に、スタッフから財産をもらったという経験でしたね。例えば、シナリオは私が中心で仕切らせてもらったのですが、やはり後半のオリジナル展開の中では非常に苦労して、ちょっとこれは自分ひとりではカバーしきれないなというところがあったときに、助けてくれたのは各話を担当していたライターさんでした」
――具体的にお名前を挙げていただけますでしょうか?
「例えばヤクザ話というのがありました。この時はライターの西田大輔さんが一所懸命、いわゆるヤクザ社会のルールを調べ上げてくれて、非常に力になってもらいました。与口奈津江さんは大変才能がある方だと思いましたね。面白いセリフがたくさんあるんです。僕がすごいなと思ったのは、コモ編でコエムシが『人数減っちまってんだからな、ひとりひとり声出していこうぜ』って言う(笑)。あのドシリアスなストーリーの中であんなセリフが出てくるのは、すごくおかしかったですね。あともうひとり、終盤に与口さんの紹介できてくれた大知慶一郎さんにも助けられました。この方は筋道を立てることに関して非常に長けていて、アンコ編で私がちょっとストーリーを見失う瞬間があったのをうまく形としてまとめてもらって、実に大きな仕事をしてもらいました。各話の演出さんに助けてもらったということもありますよ。僕が作るシナリオやセリフに、やや展開が飛躍する癖があるということに気がついてくれて(笑)、それをフォローしながら演出してくれた演出家さんがいましたね。21話の信田ユウさんは容赦なかった。畠山茂樹さんも僕のシナリオに突っ込みを入れて、『ここはこういうセリフに直したほうが視聴者に対してわかりやすいのではないか』と言ってくれていたので、うまくつながっているなというのがあったら、それは演出さんの力かもしれません。もちろん僕が中心で作ったということは変わらず、あくまで作品の出来に関する責任は僕にあるので、うまくいった部分に関しては演出家さんやライターさんの力が大いにあったということです。そういうものをたくさん作品に注ぎ込んでくれたスタッフと出会えたことは喜びでした。本当にお礼を言いたいです」
――「ぼくらの」を終えたところで、次回作の構想などはありますでしょうか? 「ぼくらの」と正反対の明るい作品を手がけたい、もしくは「ぼくらの」同様の重厚な世界観を突き詰めていきたいなど、思いつく限りでお答えいただいて結構です。
「まだ気持ちが切り替えられないというのが正直なところです。次の仕事も決まっていませんし、DVDリテイクをクールダウンするような気分で出来たらいいのかもしれませんね。もし、もう一度24本で何かやるとすると、今回食い足りなかった部分を思い返して咀嚼して、似たようなものをもう1回やるかも(笑)。これは『ぼくらの』をまたやるという意味ではないんですけど、似たようなものでもOKです。今回は暗くてつらかったから、次は明るいものをという気分はないですね。暗いものと言うと語弊がありますが、登場人物が死と向き合うというようなモチーフのものがまた来たとしたら、今回これだけいろんなことを考えてやれましたから、さらに深めて作ることはできると思います。むしろ、それは望むところかもしれないですね。ただ、こんなすごいアイデアの企画はもうないんじゃないでしょうか」
――仮にあったとしても『ぼくらの』の二番煎じとして受け止められかねないところがありますからね。
「二番煎じと受け止められないようにやるのは大変かもしれないな。そういう意味では現実味は薄いですね。……ちょっと申し訳ないですが、全然懲りていないです(笑)」
――では、最後になりますが、「ORERA」読者へのメッセージをお願いします。
「ひとつメッセージを残します。『ORERA』はジアースの事件が本当の雑誌に載っているかのような、現実味のあるシチュエーションを描き出したホームページですよね。ジアースという事件に本当の意味での現実味があるのかどうかと言ったら、僕は大いにあるつもりだったんです。つまり、ジアースによって引き起こされる災害が『ORERA』の誌上でいろいろ取り上げられていますが、残念ながらそういった災害は世の中に起こりうることなんですね。でも、ウシロが最後に、保や自分の父親の存在を通して、怖がっちゃいけない、怖がってもろくなことにならないということを学びましたよね。もしも『ぼくらの』を見返すことがあったら、そういうところに注目して、心に刻んでほしいです。世の中で大概のことは怖がる必要のないことだというふうに考えていいと思います。本当に何が起こっても怖がらないで、現実をしっかり見据えてください。『ぼくらの』の子供たちはそれをやり遂げてくれたと思いますので」
(C)2007 鬼頭莫宏・小学館/イズミプロジェクト
注)このサイトはアニメ版「ぼくらの」のプロモーションサイトです。
協力:小学館 月刊コミックIKKI編集部
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